「チャレンジ」という選択肢が目の前に現れたら、とりあえずやった方がいいと思う。
*あくまでも、学生と進路に悩んでいる若年社会人向けです。ピンポイントで、あいつと、あいつと、あいつ宛てに書きましたが、僕自身の生きた体験なので、もしかしたら他の方にも何かしら届くことがあるかもしれないと思い、ブログにしました。
僕より年上の方には読んで欲しくありません。もしかしたらイラッとされる可能性がある気がします。あまり読まない方がいいと思います・・・とちゃんと書きましたからね。書いたのに読んでしまって、イラッとされても責任はとれませんので、ご了承ください。
初めて休学を決めようとしたとき。
内定を辞退しようとしたとき。
杉並区に移住を決めようとしたとき。
ファシリテーターとしてこれまで開催してきた場を依頼されたときのほとんど。
自分の行動を「チャレンジ」と感じるとき、目の前には必ずリスクが存在していました。
もしそれが取るに足らない日常的な出来事であるならば、それをチャレンジとは呼ばないはずですから。
これは僕の考えですが、
チャレンジすることによって生じるかもしれないリスクが、
チャレンジしないことによって生じるかもしれないリスクよりも大きい場合、
人はチャレンジしないことを選びます。
今より良くなるという魅力よりも、今より悪くなる不安に目を向ける人が世の中には多いので。
これは、非常にありがたいことです。
おかげで、チャレンジをする人間は、どんどんハッピーになっていきます。
僕も、おそらくその1人だと思われます。
チャレンジをすると決めたからには、守るべきシンプルな流儀があります。
・その道を信じきること
・本気を出しきること
・けじめをつけること
これさえ守れば、リスクは決してありません。
少なくとも、これまではありませんでした。
もっと正確に言うと、実施前に想像していた成功や失敗などというレベルを超えた新しい出来事が、必ず訪れました。
自分の道を信じて、本気を出して、やり切る人は珍しいらしく、これまで他の人がやってこなかったけれど、本当は誰かにやって欲しかった新しいチャレンジの話が、どんどんと舞い込んでくるようになります。
もし、このような生き方をリスクがあると捉える人は、
チャレンジしないことによって生じるかもしれないリスクに、気付いていないのかもしれません。
これも僕の考えですが、チャレンジをしないということは、自分の感覚を信用しないということに似ています。
例えば、僕に「2020年オリンピックのハンマー投げに代表として出場できるチャンスがある」というオファーがきても、僕はチャレンジしようとは微塵も思わないでしょう。
僕にとってハンマー投げは、好きなことでもなければ、興味の対象でもないからです。
このようなマイナス・ネガティブな思考を前に、チャレンジという選択は生まれてきません。
言い換えるのならば、目の前に現れた選択肢を「チャレンジ」と感じているということは、「やってみたい」「できるかもしれない」という自分の心が反応しているということだと思うんです。
そんな自分の心の動きを信用せず、チャレンジしない選択をすることは、僕には非常に大きなリスクだと感じられます。
一度、チャレンジを見逃すと、チャレンジをしないでいることに慣れていきます。チャレンジしなかったからこそ、今の「安定」した生活があると。
果たしてそうでしょうか。
自分の内なる感覚を信じてこられなかった人は、基準を外に設けるようになります。そして、世間体や情報・流行、金・・・相対的な価値観に流されるようになります。
自分の価値や幸せを外部に委ねる生き方の、どこが安定なのでしょう。
自分の心や生き様を自分で切り拓ける強さを育てていくことが、本当の意味での安定だと、僕は思います。
世間に流されず、自分の心に素直に、まずはチャレンジをしてみてくださいな。
今抱いている想像上のリスクなんて、チャレンジしているときの現実のワクワクドキドキに比べたら、どうってことないんですから