ファシリテーターに対する誤解を、少しずつ解いていきたいと思う。
こんばんは。
共同代表の山ノ内です。
「ファシリテーター」と、自分のことを称するようになってから、3年が経ちました。
今年からは、プロのファシリテーターとして専門の会社を立ち上げ、いよいよ本格的に、「ファシリテーター」を背負うことに。
だからこそ、明確にしておきたいこと、おかなきゃいけないこと、発信していかなきゃいけないことがあると、日々の仕事の中で、勝手に責任を感じたりしています。
今回は、現場の中で垣間見えた、ファシリテーターについて、誤解されていることのいくつかを、紐解いていきたいと思います。
ファシリテーターは、「先生」ではない
あるテーマについて学ぶ集まりにおいて、
講師を呼んで参加者に知識や視点を提供する講演型の場
が開催されてきた一方で、
参加者同士による対話型の場が徐々に増えてきています。
だからなのか、これまで講演型だった場を、対話型に変更した会にファシリテーターとして呼ばれると、「先生」と呼ばれることが非常に多いのです。
しかし、ファシリテーターは、「先生」ではありません。
ファシリテーターは、当日のゴールとプログラムを設定・共有したり、プログラム進行のために前に出て話すことはあります。
しかし、立場としては第三者。むしろ、参加者の主体性が発揮された場においては「あれ、いたの?」と消えたい存在。
先生がいなくとも勝手に動く場をつくるのが、ファシリテーターなのです。
各分野に精通したプロフェッショナルとして「先生」と呼ばれ、みんなの前でお話される講師とは、根本的に立場が違うのです。
「じゃあ今日はあなたがファシリテーターで」と、いきなり指名されても困る
理由は2つあります。
1つは、ファシリテーターの役割は、事前準備の段階も含めて発揮されるものだからです。
実現したいゴールを踏まえ、適切な時間配分やプログラムの設計し、会場設営などを含めた、トータルで「場」をデザインし、更には当日の運営を通じて参加者の主体性を発揮させるのがファシリテーターです。
もちろん、いきなり指名をされてもファシリテーション・スキルを発揮することはできます。主催者の意思を汲み取り、最大限、場に貢献するでしょう。
しかし、場づくりを知っているからこそ、「それだけでは足りない」ことが分かっているのです。
もう1つは、ファシリテーターは、「役割」だからです。「役割」は、そこにいるみんなの承認を経て、初めて担うことができます。
つまり、その場にいる人が、ファシリテーターの意味を知らなかったり、誤解して理解していたり、私や、ファシリテーターという言葉自体に不信感を覚えたりしていると、場はうまく進まないどころか、不必要な不安を生み出すことにつながります。
また、ファシリテーターは、第三者だからこそ、力を発揮します。
ファシリテーターという第三者が運営に徹するおかげで、その場のみんなが当事者となって場に参加できるようになるです。
もし仮に、ファシリテーターをお願いされた人が、利害関係者であれば、役割として成り立たせるのは難しいでしょう。
そのような観点からも、当日いきなり「今日はこのテーブルのファシリテーターをよろしくね」というお願いの仕方は、避けていただけたらなぁと思います。
ファシリテーターがいても、会議の時間が短くなるとは限らない
プログラムづくりに慣れていない会議を拝見していて感じるのは、メンバーの関係性、議題とゴール、時間、それぞれのミスマッチです。
「まだ、その議題を話しても、本音が出てこないから盛り上がらないだろうなぁ」
「この議題を話すなら、もう少し人数が多くないとだめだろう」
「ここはたたき台を作って進めた方がスムーズにいくなぁ」
「会議の前に、この人の考えをしっかりと聴いておく必要がある」
などなど、様々な「改善方法」が思い浮かびます。
なので、会議について相談されたときに、参加者の関係性や議題のウェイトなどを考えて、「逆にもっと時間をかける必要がある」と判断した場合は、当初の予定よりも時間をかけたプログラムやスケジュールを提案します。
ファシリテーターによる会議づくりは、一見のんびり・非効率なように見えるかもしれませんが、長期的に見て、もっとも効果的で筋道立った選択をするように、プログラムされています。