大学生のうちに身に付けておいてよかった3つのスキルと身に付け方

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こんにちは。

共同代表のりんたろうです。

もうあとわずかで新年度が始まりますね。

僕のFacebookのタイムラインは、桜と卒業・進学・就職の話題で持ちきり。

それを見ていてふと、自分のことを思い出しました。

一番大きな転機は、やはり大学卒業。

熟考して選んだ内定先を蹴り、アルバイトをしながらでも多世代交流の場づくりがしたい。

そう思って、大学卒業の前に杉並区へえぇ~いと引っ越して来たのが全ての始まり。

そこで僕は仲間を得て、スキルを得て、仕事を得て、今に至ります。

ありがたかったのは、大学卒業後の選択肢に「企業に就職をしない」という項目が自分の中にあったこと。

どっちを選ぶかは、どっちでもよくて。

この選択肢が持てたからこそ、僕は社会の風潮や慣習に流されたのではなく、自分の意志で自分の人生を選択したと納得できたように思います。

じゃあなぜ、その選択肢を持てたのか。

色々考えてみたのですが、大学在学中に、下記の3つのスキルを身に付けることができたからなんじゃないかなぁというところに、落ち着きました。

1:企画書が書ける

企画書とは、自分がしたいことを実現するためのツールであり、具体的には、自分がしたいことについて最低でも6W2Hの項目が全て埋められている書面のことを指します。

6W2Hとは、こんなことです。*どういう言葉で表現するかは諸説あります

Why「なぜこれをやりたいのか」 ◆What「なにをやるのか」 ◆Whom「誰に向けたものなのか」

Who「やるために誰が必要なのか」 ◆When「いつやるのか」 ◆Where「どこでやるのか」

How much「どのようにお金が動くのか」 ◆How「どうやって進めていくのか」

僕は、大学一年生の冬に、飢餓貧困の解決を目指すNGOに参加しました。そこで、初めて企画書というものに出会い、企画書に書かれた内容が形・行動・事業などリアルになっていく様を実体験することができました。

そして、世の中の全てのモノやサービス、イベントは、企画書から始まっているということに気が付きました。

その後、自分で団体を立ち上げたり他の団体に所属する中で企画書をたくさん書き、実行したり失敗したりを繰り返しながら、ちゃんと「実現できることが書いてある企画書」を書けるようになったときには、なんとなくですが、世の中を企画書の視点で観察・分解して理解することができるような気になりました。

「書ける≒できる」と、勘違いも甚だしいのですが、そんな風に漠然と思えるようになったことが、きっと何か決められたものに所属しなくても自分で始められると心の奥で自信につながっていたのかもしれません。

*「企画書が書ける」の身に付け方*

・既存の団体に所属し、企画書が事業やイベントになる様を実体験する

・書き方を習う→本を読みながら自分でアレンジする・世のイベントの企画書を頭の中で思い描く

・書くだけでなく、ちゃんと実現させる→スケジュール感・予算感が身につく

2:引きの視点で(俯瞰して)自分や物事が見られる

自分の初一人旅・初海外旅行の先は、インドでした。

これもきっかけは飢餓貧困の解決を目指すNGO

急遽、自分が東京の学生支部のリーダーになることになってしまい、現状を実体験しないままでそんな任は背負えない、「そうだ、インドに行こう」ととりあえずチケットを買ったことから始まりました(今思えば、国選びも含めて、なんと安直だったことでしょう)

到着後、2時間で泣きそうになりながら、帰国を早める方法を探したことは、今でも忘れません。

臭いも、音も、目に映る人の顔つきや量や日本では見たことのない光景も、全てが無理。

自分は、なんてところに来てしまったんだと、心から後悔しました。

しかし、神は私に味方をしました。心を落ち着けようと入ったラッシー屋さんで日本人女子大学生に遭遇。色々なところを一緒に回るうちに次第に心が落ち着き、周りをしっかりと認識できるようになりました。

まず、気づいたことは「こんなに日本と違う環境でも、みんな、めっちゃ生きてる!」ということ。

ゴミが収集場から溢れていようと、何百台という車のクラクション音が常に鳴り響いていようと、手足を切られた(切った??)物乞いがそこらじゅうにいようと、このまちから感じるエネルギー、生命力のような計り知れない力。

自分の拙い常識なんて、「生きている」という絶対的な価値に敵うはずもなく、僕はただただ受け入れざるを得ませんでした。

それからです、インドが楽しいに変わったのは。全部が新鮮、全部気になる。

自分が変わることで、世界が変わるということを実体験としてもつことができました。

その後、3週間弱の間に色々な日本人に会えたことも、学びにつながりました。

常に笑顔で僕のことを褒めて下さる天使のような日本人とも、物乞いをする子ども達に空き缶を投げつけるようなクソみたいな日本人とも、時間を共に過ごしました。

僕は、どちらの人も「こういう人もいるんだなぁ」と、そのまま受け入れることができました。

この違いをそのまま受け入れる姿勢は、自分の人生を選択する際に、「こうしなければならない」というような固定観念を取っ払うことにつながり、今ではファシリテーターという第三者の立場で場に関わる際にも生きているように思います。

*「引きの視点で(俯瞰して)自分や物事が見られる」の身に付け方*

・思いっきり違う環境に飛び込み、それがいいと思うような体験をする(海外に行くのが手っ取り早い)

3:自分の今の実力がちゃんと測れる

大学時代にも、自分で事業を立ち上げたことがありました。

若者と社会をつなぐ・・・その実績づくりのために、将来有望な即興演奏家の友人をプロデュースして様々な場での公演を開催するという事業。資料作り、営業、イベント立案・制作・運営、写真撮影、動画制作、チラシ作り・・などなど。

これまでチームで動くことが多かったのですが、実施する中でメンバーに対する不満もあったりして、「自分1人で、どこまで出来るのか」が知りたかったのです。結果、休学して2年間本気でやってみたけれど、全然お金は稼げず。

わかったことは、お金は、あるところにしかないということ。

自分がやろうとしていることは、なかなかお金になりにくいということ。

今の自分にはお金につなげるための方法が思い浮かばず、お金があるところにつなげてくれる人に出会う力もないということ。

大抵のことは1人で出来るが、スピード感が必要な場面ではチームの方が有効であること。

世の中は、スピード重視の部分が少なからずあるということ。

一方、僕はお金がなかったのでアルバイトは常に2個以上掛け持ちしていました。しかも、飽き性なので本当にたくさんの職種を経験させてもらいました。

塾講師や秘書、イベント運営や、テープ起こし、飲食店ではイタリアン、日本懐石、ケーキ屋、パン屋、和風創作などなど。

特に飲食店でのウケはよく、面接に行けば必ず通り、働いているうちに社員採用の話を振られる率は100%でした。

また、学生団体として色々活動する中で目をかけて下さる大人達に出会い、本当に困ったらうちにおいでというお話もいただきました。

ここでの気付きは、自分は本当にいざとなったら、なんとか食っていく道はありそうだということ。

そんこんなで、大学生として過ごした年数は7.5年間()

自分で選んでつかんだ実体験や外部評価がある一定量を超えると、社会の流れや慣習に対して疑問を抱けるようになるらしく。

新卒でないと入社は厳しいとか、大手が安定とか、まずは企業で3年働いてみるのがいいというようなどこの誰が言ったかわからない一般化された情報には、全く興味が湧かなくなっていました。

*「自分の今の実力がちゃんと測れる」の身に付け方*

1つの環境にい続けるのではなく、多様な環境に身を置いて、評価してもらう

・言い訳できない状況に自分を追い込んで、本気でやってみる

本当の意味で、自分の人生を生きるために、僕が大学生のうちに身に付けたことは、この3つでした。

今、大学生という時間を過ごされているみなさんは、何を身につけたいですか?

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