いいファシリテーターって? ~ファシリテーターを評価する

静岡県焼津市で、コミュニティファシリテーターとして活動を始めた土肥くんから、こんな質問をもらいました。

*土肥くんのブログはこちら

プロフィール 土肥潤也/Junya Dohi | コミュニティの実験室

「そもそも評価って必要なのか?とか。」

「評価されたいって思った時点で、ファシリテーターが主語だからダメじゃない?とか。」

「でも、何をもってうまいファシリテーターというのかな?とか。」

う〜ん、面白い!

…ということで、同じく共同代表の米元と一緒に、この質問を肴にビールを飲みまくりながら意見交換をし、その上で、僕の中でこうかな~と思うことを元にお答えしてみました。

そもそも評価って、必要なのか? ~他者に評価されることについて

ファシリテーターが周りから評価”される”タイミングについて、大きく2つの場面が思い浮かびました。

1つは、参加者が、ファシリテーターが担当する場に参加した時に、意識的・無意識的に関わらず、する評価。

声の大きさ、説明の分かりやすさ、資料やスライドの見やすさ、気の利いた対応、醸し出している雰囲気、プログラムが楽しいかどうかなどなど。評価ポイントは人それぞれでしょう。

もう1つは、場の主催者が、どのファシリテーターに依頼しようかな~と顔や過去の現場を思い浮かべたり、ネットで調べたりしながらする評価。

主に、ゴールの提案力(主催者が本当に実現したいと思っていることを打ち合わせを通じて引き出し、言語化する力)や、実現力(提案したゴールを実現するためのプログラムをデザインし、当日の進行を通じて無事に達成するために必要な力)もそうですが、単純にこなした場数なども評価されているのかもしれません。

仕事としてファシリテーターを担いたいのであれば、次の仕事を引き受けるためにも、どのような場面で、誰に、どう評価されるか。それを踏まえてどう見せるかということに意識を巡らせることは必要だと思います。

何をもって、うまいファシリテーターというのか? ~自分で評価することについて

一般的な評価軸をつくることに、あまり意味はないと思っています。

上記の通り、参加者や主催者一人一人が、自由に評価すればいい。

もし決まったファシリテーター評価軸をつくっても、それはファシリテーターが、別のファシリテーターを見る時にしか使われないでしょう。

それって、内輪で盛り上がっている感がして変な感じ 笑

それより大切なのは、“自分は”、何をもってうまいファシリテーターといわれたいのか自分の在り方を自分で評価するための評価軸を持っておくことなのかなぁと。

自分は、なんのために仕事としてファシリテーターを担うのか。

そのような自分の理想を実現するために、どういうファシリテーターで在りたいのか。

だから、ファシリテーターとしてこういう部分を評価されたい。

というように。

ここまで自分の中で定まっていて、ようやくアンケートが活用できるようになります。

出された集計の何・どこを見ればいいのか、もしくは、どんな質問項目を用意したアンケートにすればいいのかが分かるからです。

自分の評価軸を持っているということは、言い換えるのなら、企業として事業として人として、一本の筋が通っていると、言えるのかもしれません。

ちなみに、ALsが参加者からいただいて一番嬉しい評価は、「(その場のゴールを実現したという前提で)途中でいたことを忘れていたよ」です。

ALsは、自分で考え・学び・行動する”Active Learner”を社会に増やしていくことを目指して活動しています。

そのため、我々は現場においては、中立・第三者の立場で「消えるファシリテーター」として進行を務めています。

ゴールの設定・共有など、初めのうちに参加者同士の共通認識をつくる時間は関われど、その後は参加者自身が自ら考えて進めていけるような、ファシリテーターが自然とその場を手離していけるような場づくりを意識しています。

なので、先の言葉は、まさに「そう!そこを目指していたんです!!」と、飛び上がるくらい嬉しいです。